「聖書が与えられているんだから、もう現代には預言は無い」
私は、この預言終了説を100%信じこんでいた福音派クリスチャンだった
しかし、ある時どうしても神様の声を聞きたくなって、預言カフェに行った
その顛末と、どんな預言が与えられたかを記事にまとめた
どうして預言カフェに足を向けたのか
人生には上り坂と下り坂と、そして“まさか”(!)がある
良い“まさか”だったらいいんだけど、大抵は悪い“まさか”だ
私にも数年前、思いもかけない“まさか”が襲ってきた
それまでは「それなりに」真面目なクリスチャンだった
礼拝はほぼ守り、聖書通読もディボーションも欠かさずしていた
できる範囲で奉仕もした
とりあえず、真面目な信仰生活を送っていれば、そんな悪いことは起きないだろう
そう信じていたのに、どうして?
必死に祈った
聖書も読んで、励まされないことも無かった
でも
「神の声が聞けるんだったら聞きたい」
本気でそう思った
「預言」してくれる人っているんだろうか?
検索したら、どうも「預言カフェ」というのがあるらしい
しかし、日本のオーソドックスなキリスト教社会では、行くのはあまり推奨されてない感じ
怪しいんだろうか
神の声を求めるのは、間違っているんだろうか
少し迷う
でも
「行ってみよう」
そう決意して、誰にも相談せずに足を向けた
赤坂の預言カフェに行ってみた
あれはとても暑い、気温35度の酷暑日だった
少し後ろめたい思いを抱えつつ、赤坂の預言カフェに向かう
赤坂には開店1時間前に着いてしまった
混んでいるというクチコミがあったが、
あまりの暑さのためか、待っている人はいなかった
駅周辺をブラブラして、開店10分前位にもう一度向かう
と、私の前に一人、同年代か、もう少し若いはつらつとした感じの方が待っておられた
その方は明るく
「ここは一ヶ月に1回ぐらい来るといいのよ。
毎回、来るたびにとても励まされるのよ。」
と、笑顔が輝いていた
クリスチャンでは無いらしい
しかし、私よりずっと素直に、神様からのことばを期待している気持ちが垣間見えた
最近聞いた話だが、昔ここで働いていたNさんによると、
「お客さんは未信者さんが9割ね。残りの1割は、こっそり来るクリスチャンかな。」
ということらしい
入店、そして預言タイム!
そうこうしているうちに後ろにも人が並び始め、開店時間となる
すぐに席に案内され、メニューを見る
当時は一杯1,100円〜だったかな?
こんな高級なコーヒーは飲んだことないや
預言付きってことだね
一番お手頃価格のアイスコーヒーを頼んで、しばし待つ
と、他の席で預言が始まっている
わ、緊張するな〜っと思って見ていると、
私の席にも40歳位の男性が、「預言してもよろしいですか?」と来てくれた
はい、とうなずき、スマホアプリの録音ボタンを押した
どんな預言内容だったのか?
落ち着いた感じの男性はよどみなく、3分弱の預言を語ってくれた
以下は録音を書き起こしたものである
「私はあなたを愛していると主は言われます。よくここまで来ましたね。
本当に紆余曲折、七転び八起き、何かそのように、試練や苦難があって、立ちはだかる壁もあって、抱える問題もあって、でもそのような中で、あなたはひとつひとつ乗り越えて、ついにここまで来た、私はあなたを喜んでいると主は言われます。
もちろん、人生を投げ出したいと、そのように思うときもあったけど、でもそうではなくて本当に向き合ってきた前進してきたその証しが、今、あなたがここにいるという事実です。
だからあなたの存在を、喜んでいると主は言われます。
私はあなたを、良い作品、素晴らしい何か作品として、あなたを作りましたよ、と主は言われます。
だから素晴らしい才能が、あなたに備わっているんですね。
計り知れない可能性が秘められているんですね。
だから心の奥底に、やってみたいという思いがあるならば、それが何か、こんなことくだらないだろうと思ったりすることがあったとして、そして誰かの目が気になったとしても、やってみたいならやってみてください。
どんな形でもいいから、どんな小さくてもいいから、だからそのような、こう何か自分のチャレンジしたい思いをどうぞ大切にしてくださいね、と主は言われます。
そして、あなたがこれまでやってきたこと、ムダなことは何ひとつなく、点と点が線となってつながっていく、ちゃんとこれまでの努力やがんばりや知識をたくわえてきたことや経験がますますこれから良い形で、こう実を結んでいく、そのことを見ていくでしょう、と主は言われます。
だからどうぞ、未来に期待してください。
明日以降のことを考えると、不安とか心配とか肩にのしかかってくることがあると思うけど、私の大きな役目のひとつに、あなたの重荷を持つということがあります。
だからあとは神様あなたに未来をゆだねたから、私は今日を楽しみますと、二度と来ない今日一日というのはパッと過ぎ去っていくけど、過ぎ去ったらもう何をしても巻き戻すことはできない、時は流れていく、そして貴重でもあるんですね。
あなたのいのちともいえるあなたの時を、そしてあなたのいのちを、さらに照らそうと主は言われます。」
大きな氷がぷかぷか浮かんでいるコーヒーをすすりながら、しばし余韻にひたる
前半の「試練」「苦難」「人生を投げ出したい」とか、どうしてわかったんだろう?
私そんなに疲れがにじみ出た顔をしていたんだろうか…
いやいや、やっぱり、神様?
そしてあのときアイスコーヒーは、質の良い豆を丁寧に淹れてあったのだろう、雑味は無くほろ苦くとても美味しかった
そして預言後の今は?
預言は占いとは違って、愛なる神様からの励ましの言葉だった
そして、心が少し軽くなった
当時は後半はあまりピンとこなかったが、今振り返ってみると確かに「当たってる」というか、やりたいことができて、点と点がつながっているなぁ、と思う
そして今は、預言が普通の教会にも導かれている
もちろん、現象だけを追うのではなくて、みことばを土台にしている教会だ
“まさか”の悪いでき事は敵(サタン・悪霊など)からの攻撃だったと思うし、
無かった方がそりゃ良かったんだけど
それによって逆に信仰の世界は広く、深くなった
“まさか”は“感謝”に変えられてきているのだ
預言の賜物があるNさんによると、「預言は可能性」であり、支配されたりコントロールされたりするものではないのだそう
だから、クリスチャンで無い方はもちろん、
普段は預言にあまり縁が無いクリスチャンの方も、
興味があったら怖がらずに、気軽に預言カフェに足を運んでみたらとも思う
預言CAFE 赤坂 ⇒⇒⇒ 公式HP
「また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義をあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません。」聖書 第一コリント 13章2節

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