癒やしの集会(キリスト教)に足を向けたことはおありだろうか?
私は生まれつき変形性股関節症だったが、癒やしの集会での奇跡を拒否し、
その後、人工股関節置換手術を受けた
そのことに無意識のうちに罪悪感を抱いていたが、
最近の祈り会で術後に残っていた脚長差が解消され、
同時に罪の意識からも解放された
心と身体の両方が癒やされて、神の赦しの愛を感じる体験をしたのである
この記事では、私が体験した先天性変形性股関節症の癒やしの変遷(プロセス)を、ありのままに書く
医療の恵みと、それを超えて豊かに働く神様の奇跡が、あなたの心の希望になりますように
集会で、どうして癒やしを拒否してしまったのか
あれは2009年のこと
私は娘と弟と、銀座で行われたレイモンド・ムーイ師の癒やしの集会に行った
自分のためではなく、娘のアレルギー体質を癒やしてほしかったからだ
集会が始まり、ムーイ師によるメッセージが語られてはじめて20分も経っただろうか?
「今日はもう神様が働かれている!
骨格に問題がある人は、どうぞ立ち上がってください!」
とムーイ師から強い呼びかけがあり、慌てて立ち上がった
私は生まれつき右側の股関節の受けの部分の骨が浅く変形していて、
その頃には右脚の長さがもう2cm位短くなっていて
まだ40歳になったばかりだったが、杖をつきながらびっこをひいて歩いていた
「え、自分のために来たんじゃないんだけどな〜」と、とまどい、同時に
「これで癒やされたらどうしよう、教会の人に黙ってきちゃった」と、とても焦った
何か温かい気体のようなものが、
ふわ〜っと右側の股関節の周りを取り巻いているのを感じたが、
思わず心の中で、
「神様、私はいいです。癒やさなくていいです!」
と叫んでしまった
通っていた教会で癒やしの働きがあまり活発でなく、怖くなってしまったのもあるが、
要するに、神様への信仰で癒やしを受け取るのではなく、
教会の姉妹に何か言われたらどうしようかという、人目を気にしてしまったのである
神様は人の心を無視する方ではないから、当然、癒やされることは無かった
その後、レイモンド・ムーイ師に個別に娘の癒しを祈ってもらったが、
師は私を見て「どうしてこの人は癒やされなかったんだろう」という表情をしておられたようだった
娘の方もその場では癒やされなかったので、私達は奇跡を体験することは無く、
「腫瘍が無くなりました!腰痛が癒やされました!」という多くの喜ぶ方々を横目に、
ちょっと沈んだ気持ちで会場を後にした
後から、「どうしてあの時ちゃんと癒やしを受け取らなかったんだろう」と後悔しつつ自分を責め、
それきりそのような集会に足を運ぶことはやめてしまった
2021年の冬に、人工股関節置換手術を受けた
その後、右側股関節の変形はどんどん進み、右脚は左脚より3cm短くなって、階段も上りづらくなっていた
そんな中、パート先で素敵なおばさまから声をかけられた
「私のお友達が、鎌倉の湘南鎌倉人工関節センターで人工股関節の手術を受けたのよ。
とっても良かったって。あなたも行ってみたら?」
パートの仕事自体はキツかったが、手術経験が豊富な湘南鎌倉人工関節センターに導かれたことはとても感謝だった
まだ50代前半で手術はちょっと早いんじゃないかな、と思っていたが、
股関節の変形は末期の状態で、トゲのような突起物もできていて、難しい手術だったらしい
時間もかかり、貯血しておいた自己血輸血も全部使い切った
手術後、執刀医の先生に言われた
「まやさん、せっかく手術を受けたのだから脚の長さをぴったり揃えてあげたかったけど、筋肉や筋を伸ばせなくてどうしてもあと3mm、右足が伸ばせなかった。ごめんなさい。」
いえいえ、今までの3cmに比べたら、3mmなんて本当に何てことない
全然、気にならなかったし、痛みやだるさも解消されすっかり歩きやすくなって、本当に感謝だった
だが心の奥底では、
「奇跡じゃなくて手術で直しちゃったかな。」
と、時々苦い思いが湧いてくることはあった
そして、祈りで3mmの脚長差が揃った!
ところが、である
神様の癒しは、手術では終わらなかったのである
最近導かれた小さな祈り会で、開始時間になっても全員が揃わないときがあった
ミニスターが、
「まやさん、腰が痛いって言ってたよね。
みんなが来るまでの間、癒やしを祈っちゃおっか。
あ、脚の長さが違うと腰が痛くなることがあるから、脚の長さが揃うように祈るね(^.^)
聖霊さま、聖霊さま、右足を伸ばしてください…」と、脚に手を置いて祈ってくれた
私は半信半疑で目を閉じ、そっと開けてみたのと、ミニスターが
「あ、揃った、揃った!」と、嬉しい声をあげたのがほぼ同時だった
脚の長さが、揃ってる…
家に帰って椅子に座り、両足をピンと伸ばしてみても、脚の長さはぴったり同じだった
見ないようにしていた心の傷も癒やされた
私は、「自分は神様に癒やしをお断りしちゃった。
だからもう、自分には奇跡は起きない。」
と勝手に思いこんでいた。
でも神様の思いは違っていた
20年近く前から、ずっと私の脚を気にかけていてくださり、
「脚を癒やしたい。」と思っていてくださり、
あきらめずに癒やしに導いてくださったのだ
私自身はとっくにあきらめていて、求めもしなかったのにね
そして、私は自分を責める苦い思いからも解放されて、心が軽くなった
心身ともに癒やされて、神様の愛に感謝である
そして神様は、この記事を読んでくださったみなさまのことも、とてもとても愛しておられる
クリスチャンの方もそうでない方も、
それぞれに注がれている神様の豊かな愛を感じ取ることができるように、
そして具体的な癒やしや前進がありますように、お祈りいたします
「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」聖書 ヤコブ5章16節

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